asobiらぼ

個人的に興味を引かれた物事についての随筆です。

光と影

昨日(5/25)の朝、映画に出会った。
朝仕事の帰りの電車で、「久しぶりに何か映画でも…」とふと思い、アマゾンを開いたら、無料タイトルで『怪物團』という名前のものがあった。
直感的に見た方が良い気がしたので、少し調べたら、旅回りの見世物小屋を舞台にした、奇形者たちと健常の悪人の物語らしく、出演者は本物の奇形者や障害者とのこと。『怪物團』は邦題で、『フリークス』という1932年公開のアメリカ映画らしい。
見始めたらどんどん物語に引き込まれていき、1時間程度電車で立ちっぱなしだったがそんなこと何も気にする間もなく見終わっていた。
名作だ。

見終わったあと、監督や出演者の情報も調べたが、伝説的で貴重な作品なのだとつくづく感じた。
出演した多くの奇形者や障害者がこの映画に出演したことを後々恥じたらしいが、それはこの映画に対する世の中の反響次第で変わっていたんじゃないかと思う。神に与えられた「自分」という無二の個性を投下し、魂を揺さぶるような感動作品を作り上げているのだ。恥じるどころか、誇るべきことだと思う。

人を傷つける人間のあまりの醜さに心がえぐられる部分があり、ここまでひどい描き方をしてしまってはいけないんじゃないかと思う一方、それを演じている本物の障害者の演技は迫真だ。自分自身の運命をそこに込めているのだから、もはや演技を超えてしまっている。
どんなに馬鹿にされようとも、傷つけられようとも、自分を恥じることなく、堂々と自分の人生を生きる人間は、気高く美しい。

作中で主人公ハンスは健常者への憧れを悪女クレオパトラへの恋愛感情に投影してしまい、金目当ての彼女の罠に陥っていくという卑屈な役柄を演じているわけだが、これはその役を演じている本人が自分自身の困難な人生を受け入れ、誇りを持って生きていなければ絶対に出来ない演技だろう。
自分自身に課せられた耐え難い運命を、神から贈られた「輝ける個性」として受け止め、磨ききった人間であればこそ、その自分にしか出来ない堂々たる表現をし、観る人の心に食い込む程の強い光を残すことができる。
障害者を侮蔑し傷つける健常者の醜さがどす黒い影として作品に現れ、地獄的な世界観が強く尾を引いてしまったが、その濃い影の後ろには演者達自身が放つ強い光があったのだと信じたい。



f:id:ssktmnr:20190526080021j:plain


この作品以降監督は仕事に恵まれなくなり、キャリアを閉ざすことになったらしいが、作品は確かに残り、80年の時を超えて今僕のもとに届いた。名作映画としてだけではなく、表現にその運命をたくした人々が熱く生きた証でもある。
作品そのものの是非賛否はあろうが、奇形者や障害者が健常者と同じようにではなく、彼等にしかできない名演をし、彼等がいたからこそ成り立つ表現で物語に生命が宿された。世に出された作品は、社会にショックを与え、論争を巻き起こし、監督自信のキャリアをも滅ぼし、英国では30年にも渡り公開が禁止された。それでも今日まで作品は残されて、今の時代に生きる僕に感動を与えてくれた。
作品そのものに宿されているテーマは一言では言えないが、華やかな美男美女だけでは決して描くことのできない光と影が宿されているのではないだろうか。
ja.wikipedia.org
トッド・ブラウニング - Wikipedia
ドール・ファミリー - Wikipedia
ジョニー・エック - Wikipedia
デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン姉妹 - Wikipedia

経済の大義

気付いたら開設してました。

 新しいブログを開設しようとか、全然考えていなかったのだけど、あった方が良いような気がして思いつきで新たにブログを開設しました。
心のスケッチ』というブログでは自分の内心を描いていますが、心の外のことについてもいろいろ興味関心を引かれることが多く、そういう物事について個人的な見解を含めたファイルをこの場に作れたら楽しいかなと、現時点では考えています。
 グルメ、健康、時事、歴史、社会、文芸、風俗、エンターテイメントなど、日々心の外から心の中に放り込むものごとを集めて並べた心の遊び場になればいいかなと思い、『asobiらぼ』と命名しました。役に立つかたたないかも分からないような事を好奇心に従って浅く深く追求する、(自分にとって)楽しい時間になるんじゃないだろうかと予感しています。


 前置きはこのくらいにして、今日(5/12)気になったニュースがあったので、それについて書いてみたいと思う。
夕方のニュースでちらっと放送されていたのだが、

*********

50代の男がホームレスをブロック塀で襲い、自ら警察に出頭したところを逮捕。
襲撃されたホームレスは頭蓋骨骨折などの重傷。
男は「刑務所に入りたかった。あっちの方がマシ」と供述している。

*********

というような内容だったと記憶している。こういう理由で犯罪を犯す人は結構多くいるのだと思うけど、どこかおとぎ話のような寓意を感じさせる話でもあるなと思った。
この事件と同時代に生きる自分たちからすれば「刑務所の方がマシ」という言葉にもどこか納得できる感覚をもって受け止めることができるけれど、違う時代や国から見たらもっと奇妙な話に聞こえるのではないだろうか。もっとも刑務所以下と評されるこの世界であっても人によっては「天国よりマシ」と思って生まれてきている場合もあるらしい。穏やかだけど変化や刺激の少ない霊界よりも肉体的な喜びに恵まれる地上の方が良いと感じる霊人が、死後の悟りが浅い世界には数多くいるらしい。(この辺は幸福の科学の経典『仏陀の証明』67頁で迷いによる転生輪廻についての解説に説かれています。)いずれも自分にとって都合の良い居場所を求めた結果選んだ迷いではあるのだが、自分はそのような奇妙にも思える選択を絶対にしないかと言ったら、そうとも言い切れないのではないか、と思う。
たとえ犯罪者であろうとも同じ人間の理由ある間違いだ。同じような生い立ちで同じような状況に追い込まれた場合に同じような考え方を持ち、同じように判断する可能性は否定しきれないだろう。そういう意味で同情に値しない人生はないと思っている。
この事件は「刑務所に入りたがる犯罪者とホームレス」という極端な境遇が生み出した遠い世界の話に思えるが、事件を引き起こしている決定的な要素は「貧しさ」というごく身近な困難だ。両者が貧しくなければまず起き得ない悲劇であることは間違いない。よってこれは経済問題として取り上げられるべき事件なのではないかと僕は思う。
犯罪、悲劇、不幸といったもの多くには、貧しさの克服によって防ぐことができる一面がある。戦争といった大きな衝突でさえ、原因をたどると経済的な問題に結びつくのだが、その因果が危機感を持って注視されることは少ない。

本当であれば、犯罪や紛争など、世の中の荒廃を表しているあらゆる問題が、経済といかに結びついているかを見、経済の正しいあり方について追求する姿勢が、世の中の空気としてあるべきだろう。そして、その空気を作ることこそマスコミの本来の使命なのだと僕は思う。毎年流行るインフルエンザが感染者にどのような症状をもたらすか詳細に報道されることと同じく、貧困がその感染者にどのような不幸をもたらしてしまうのかを、教訓として知らせる報道文化があっても良いと僕は思う。
今の世の中の雰囲気を見ると、仕事をたくさんすることは不幸なことだから、残業に上限を設けたり、有給取得を義務付けしたりする一方、金を使うことに対して消費税という形で課税を重くしていく流れがある。そのうえ、肉体労働やサービス業などの利益を直接生み出す現場には日本人がどんどんいなくなっている。
要は「働くな。金使うな。」という方向性に加え、汗をかく事を厭う風潮があるのだが、この先にあるのは経済の停滞であり不況からくる貧困。貧困からくる人心の荒廃と犯罪の増加と不幸だ。
こうした不勤勉と貧しさがもたらすあらゆる悪を明らかにし、糾弾し、経済の大義を高く掲げる役割をマスコミは果たすべきなんじゃないだろうか。そうであってこそこの国と国民は勇気を持って、力強く繁栄への道を前進していくことができる。

「勤勉を社会悪や不幸とする世の行く末を指し示すような事件が置きました。」
そんな枕詞から始まる報道があっても全然良いと思う。今回のような事件を国として大いに恥じるべき失態であると言える程の、調和と繁栄の未来を建設することは可能だ。良き方向に集団意識を働かせさえすれば、昇竜の如き発展をとげられるだけの力を日本は眠らせている。その力を目覚めさせ、集団意識を繁栄へ導く「経済の大義」について堂々と語れる日本人になっていきたい。